『水星の魔女』という茶番
前提として『水星の魔女』は『機動戦士ガンダムUC』のオマージュだって思っているのですが、わたしにとって UC は福井氏による二次創作でしかなく全く評価しておりません。なので 一般的な UC 好き or 許容できるひとよりも悪い意味での先入観があるんだろうなって思っています。そんなわたし的には『水星の魔女』は駄作というかこれでええんか? の一言でした。
24 話はいままでに輪をかけて奇跡()の連発で、結果としてほとんどの人が死なずに済みました。
原因はよくわからないけどパーメットリンクが奇跡を起こしましたっていうのは UC のサイコフレーム、およびその元ネタである『逆襲のシャア』のサイコフレームのパクリオマージュであることは明白ですが、逆シャアではいちおう戦場にいた多くの人々の想いがサイコフレームに共振して軌跡が起きたという説明がなされているのに対し、『水星の魔女』のパーメットリンクはエリクトとスレッタがよくわからないけどなんとかしたとしか描かれておらず、都合良すぎやろ! というふうにしか思えませんでした。ファラクトがクワイエット・ゼロに搬入されていたのも説明がつかなくないですかね……
百万歩譲って、エリクトのパーメットスコアが 9 になるとデータストーム内だけでなく地球圏全体のパーメット使用機器をオーバーライドできるという理屈なのかもしれないですが、説明がないですし、あえて「なんかよくわからないけど奇跡が起きた」とぼかしているようにしか見えないんですよね。そのへん制作者の傲慢とわたしには見えます。「みんな助かったし死んだあのひとも登場させました、文句ありますか?」的な。
まあ、めちゃくちゃ強い主人公が無双するっていうのは 2020 年代現在のトレンドには合っているのかもしれないですが……
結局『水星の魔女』で制作陣は何がしたかった(書きたかった)んですかね?
若い視聴者向けに制作したというのはたびたび語られているのですが、それは完全新作として制作した時点で達成されています。
そうじゃなくて『水星の魔女』を通じて何を描きたかったんですか? 何を視聴者に伝えたかったんですか? って聞きたいんですが、キャラクタードラマに終止していてそれが見えないなっていう。
強いていえば親世代の過ちを子どもたちが乗り越えていくっていうのがそれなのかなあ。設定は穴だらけだしこの物語にリアリティ(説得力)はないと思いますけど、そんなの若い世代は気にしないと言われれば、40 過ぎのおじさんとしては黙るしかないですねw
唯一評価できることがあるとすれば、『水星の魔女』のガンダム=GUND-ARM の呪いを技術的に解消することはできないという結論に落ち着いたので、『水星の魔女』の後日談はあっても続編(初代に対する Z のような)が出ることはないってところでしょうか。ただ、バンナムなら平気でそれやりかねないのが怖いところです。